『力ずくで人を従わせるのは、心から従わせるものではない。服従する側に力が足りなかっただけのことだ。徳で人を従わせれば、人は心から喜んで従う。』これは孟子の “心服” という言葉を説明したもの。
この意味を知り、あっ!、と思った事柄がある。何?それはRavennaに通い始めると、ここで起こる事の不思議や身の回りの奇跡な事などを、誰かに伝えたくなるとクライエントは口にする。そしてそれを話すと、「それ、宗教じゃない?」、「洗脳されてない?」、「そこには行って欲しくない。」、と言葉が返って来て困った、と皆さんは伝えてくる。
それを聴き、私も大変困り苦しくなり、何を伝えたの?どんな言葉を使ったらそんな言葉が返ってくる?、何故そんな風に捉えられてしまうのだろう……、って。「私を信じなさい。」、「私の言う通りにしていればいい事あるから……。」、「ここに来て座っているだけで良い事が起こるから。」、なんて言葉を口にした事はないのに、思ってもない言葉が耳に入って来る。
“心服” からこの事を考えると、皆さんが伝えた相手はこの “心服” を知らない。そして、皆さんも “心服” を知らない。知らない誰かの心の中で悪人として仕上がって行く私。クライエントの家族に面と向かって言われた事もある。その時クライエントは知らん顔、とても悲しい経験になった。あなたが “心服” で私を理解していなかった事がわかった瞬間だった。
皆さんが生きているこの世界は、目に見えるものだけで判断し、なんでも勝ち負け、お金が基準の物質世界だ。魂の進化を進めるにはとても難しい物質世界で、”心服” を心に意識する生き方が、その一つになるのではないかと考えた……。
コメント
新しいブログとても嬉しいです。心服という言葉を初めて知りましたが、私は薫子さんにお会いして、今まで薫子さんの徳の深さ積み重ね、在り方などたくさん見せていただいて今があるのだなと感じます。
自分はまだまだ人として成長しなければならないところがたくさんありますが、心服を真から理解できるように學びます。
薫子さんにお会いしてから起こった様々なことをラベンナに通っている以外の人に話したいと思ったことはあまりないなとブログを読んで改めて感じました。言葉で説明出来ないのと、上手く伝えられないのと、軽く伝えるようなことではないと感じていたからだと思います。どっぷり物質社会にいた私が少しずつでも変われたのは本当に薫子さんのおかげです。
読み終えて初めてあっちゃんの姿が目に入った時の事を思い出すw
どっぷり物質社会を楽しんだから(今世レベルではなく)、次の扉が目の前にあった、って感じかな?あっちゃんの場合。
詳しくは今夜のリラクセーションで。
ブログ、楽しみにしていてくれて、ほんとに嬉しい。
そして必ずコメントも感謝です。
たった一人からのコメントになっても書き続ける!、と思ったよ。
ありがと、あっちゃん。
“心服”を知らずに先生に悲しい思いをさせてしまって、いたたまれない思いです。
以前、先生にRavennaには魂が来たいのだと伺った時、勝手に涙が出て来て、温かい気持ちで満たされたことを思い出しました。とても有難かった経験です。
何でも自分、自分…、すぐに目に見えるもので判断してしまう私。
”心服“を自分に落とし込み、ちゃんと理解するにはだいぶ時間が掛かると感じますが、酷い自分自身から目を逸らさず何度も向き合い、学ばせていただけることに感謝して、ちゃんと理解することに繋げて行きたいという思いになりました。
先生、ありがとうございます。
コメントするのキツかったね、がんばってコメント書いてくれて、ありがとう。
言葉での理解も真の理解も進めて行こう!
出来たら、みっけもんだ!
〝心服〟という言葉を初めて知りました。
今も物質世界にすっかり浸り、目に見えるもので判断してしまう私は言葉の意味や〝心服〟を心に意識する生き方・・を理解するには時間がかかりそうだと思いました。
孟子の言葉やブログを何度も読み返しました。
そして感じたことは、言葉を並べて理解してもらうのではなく、自分がしていること・することで理解してもらうことが大事、と思いました。
今の世で普通に生きていては、難しい事と思う。
意識して進んで行く事に意味があるよ、MIKAさん。
心服、初めて聞きました。
目で見る物で判断し、先生から分けて頂いた心の暖かさを自分で感じていても、外に出るといつの間にか個我丸出しなのも気づかずにいる自分。
何回もブログを読見返し、自分って浅いと再確認でした。心服、目で見るものだけではなく、自分の心で感じることを意識して行きます。そして、わかっていない自分が一人歩きしないよう気をつけます。先生、深い学びをありがとうございます。
話している中で、あっ1あっ1、って気付くことが多々あるね。
ほんと、ひとりで歩いて行ってしまうよね笑
出会う前には無かったこと、今はそういう自分がいるって事がわかって、よかったね。
“心服”知りませんでした。何度もブログを読み返し、ノートにも記入…。
20代で先生と出逢った頃は、職場や母に興奮しながらラヴェンナを紹介していました。
時を経て、逆にきちんとラヴェンナを伝える自信がありません。自分の言葉では足りない、壊したくない…
今も想像するだけで色んな感情が巡ります。
『徳で人を~』を実践されている先生に勉強させていただく中で、物質社会に染まり、もがいている私ですが、今生でなんとか少しでも前進したいです。
ノートにも記入……ゆかさんらしいね。
「……言葉では足りない、壊したくない……。」、これ”心服”に近くないかな?
リラクセーションの時にお話しましょ!