母と一緒に、毎日お風呂に入った。
私が先に済ませ、湯船で一息つく。
「お母さーん」と呼ぶ声に、
「あ・り・が・と・う」と手を合わせながら母が入ってくる。
彼女の髪を洗い、自分では手の届かない背中を流す。
「気持ちいい。感謝、ありがとう、薫ちゃん」
湯船で心地よそうにリラックスしている母を横目に、
私はお風呂上がりの身支度を急ぎ足で整える。
髪を乾かし、次の準備をして……と少し慌ただしいけれど、
母の穏やかな表情を見ていると、
不思議とドライヤーの音までもが優しく聞こえてくる。
「もう上がる?」
「うん、上がる。ありがとう、薫ちゃん」
お風呂上がり、リビングには川のせせらぎが響き、水の匂いがふわりと漂う。
母はその音に耳を傾け、目を閉じ、涼やかな風を感じている。
「なんて幸せな時間。ありがとう……」
心からの安らぎを噛みしめるように手を合わせ、深くつぶやく。
そんな母をリビングに残し、
私はオンラインの仕事に取り掛かることもあれば、
そのままベッドへ潜り込める日もある。
母が何事にも感謝を伝えてくれたり、
何か出来ることはない?と、
お手伝いをしてくれるから、忙しい日々の中でも、私の生活のリズムが崩れることはない。
安らかな母の寝顔に、私もまた感謝する。
気づけば、母と過ごす時間は一ヶ月を過ぎていた。
想像していたよりもずっと、穏やかな時が流れている。
もっと大変なことだと思っていたけれど、そうではなかった。
それは、何をするたびに母がくれる「ありがとう」の言葉のおかげだ。
「薫ちゃん、ありがとう」
「こちらこそよ、お母さん!」
湯船に浸かる母を見守りながら身支度をしていたとき、
ふと、ある感覚を思い出した。
それは、子育ての時に抱いたものと同じ気持ちだった。
生まれたばかりの我が子を、
傷つけないよう優しく撫でるように洗ったこと。
口にするものの形、味、温度、量に細心の注意を払ったこと。
気温に合わせて服を選び、おむつを替えたあの頃。
母へのケアも、形こそ違えど、根底にある想いは我が子へのそれと何ら変わりない。
手をかけて子を育てた時の情愛が、今、母に対して鮮やかに蘇っている。
そこでふと思った。
社会情勢が変わり、今は早い段階から子どもを保育園に預けることが一般的になった。
けれど、我が子の世話を自らの手でし尽くす経験を持たない人が、
いつか老いた親の世話をできるのだろうか。
親を施設に預けること。
子を保育園に預けること。
そこに、どこか共通するものを感じる。
母の体をいたわる日々のなかで、
私は「人を慈しみ、育む」ことの本当の意味を、
改めて教わっている気がする。
お母さん、ありがとう。

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