昨日、マイケル・ジャクソンの映画を観てきました。
「次に来日したら、絶対にこの目で観に行こう」 そう願っていたマイケル・ジャクソン。
その願いが叶わなかったことは、今でも本当に残念に思います。
映画の中では、彼が家族の中でどのような存在であったのか、そして父親や母親との関係性の中で、どのように葛藤し、私たちが知る「マイケル・ジャクソン」という存在が形作られていったのかが、克明に描かれていました。
友達と思い切り遊びたい盛りの少年時代。
彼は家族のために歌わなければなりませんでした。
彼自身、歌うこともダンスも大好きだったため、その時間を純粋に楽しんでいた部分もあったようですが、父親が抱えるコンプレックスの大きさは、それを遥かに超えるものでした。
その過酷な環境が、彼の人格形成にどれほど大きな影響を与えたかは想像に難くありません。
葛藤の中で必死に成長し、音楽業界で前人未到の偉業を成し遂げていくマイケル。
しかし、彼の背中には、いつも父親の厳しい視線がありました。
その視線には母親も逆らうことができず、母もまた、深い苦しみの中でマイケルを育てていったのです。
音楽界に数々の革命を起こし世界を魅了したマイケル。
けれど、どんなに優れた才能があっても、どれほど多くの慈善活動で人々に光を届け、徳を得たとしても、彼もまた一人の人間であり、等しく「死」を迎える存在でした。
映画を観終えたとき、私の心にぽつりと浮かんだのは、とてもシンプルで、だからこそ重みのある感想でした。
どんなに偉大な人であっても、魂が肉体を離れる瞬間は、決して避けることはできません。
私たちにどのくらいの寿命が残されているのか。
これからどんな病気になるのか。
病気にならず、老衰なのか。
認知になり、愛した人々の顔も忘れていくのか。
たった一人でその時を迎えるのか。
あるいは、突然その時が訪れるのか。
それはすべて、神様しかご存知ありませんし、神様だけが告げられる領域です。
その瞬間に、誰とどこで何をしているのかさえも、私たちには計り知れないことです。
だからこそ、誰にでも必ず訪れる「その時」に向けて、私たちはどう生きるのか、どう生きていけばいいのか。
いつか魂が肉体を離れる旅立ちの時を迎えたとき、神様が、 「本当によくがんばったね。一生懸命、生き抜くことができたね。おかえり」 と、温かく抱きしめてくれるような生き方。
そんな誠実で愛に満ちた在り方を、自分で考え、自分で選択して生きていく。
日々の生活の中で「どう生きようか」と模索しながら、◯◯○?、何回◯○◯◯……、それでも一歩一歩を助言を得ながらでも自分の意志で選んでいける。
それって、ものすごく素敵なことじゃない。
映画のスクリーンを見つめながら、そんな温かい確信が、私の心に静かに満ちていきました。
日々の生活の中で、自分の内面を見つめ、丁寧に生きることは、時に孤独や葛藤を伴う時もあります。
けれど、どうぞ安心してください。
私はずっと、みなさんのそばにいます。
これからも共に、魂を磨き、温かい一歩を重ねていこう!

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