母がまた来てくれた。
時間がゆっくりと流れ始めた。
彼女が持っている時間の流れで、我が家が動き始めた。
なんてゆっくり流れるんだろう。
二人の生活が三人になれば、食事も洗濯も一人分増えたはずなのに、そんなに忙しくならない。
食事はゆっくり話しながらいただくのが我が家の食卓。
母も交わり食事の時間が伸びるのに、その後の家事の手が忙しくならない。
食事も美味しい、会話も楽しい。
そんなことを思いながら食事をする母を見ていたら、
「気持ちが幸せ」
「ありがとう」
と、箸を置き手を合わせて呟いていた。
心が美しい母、ここにいてくれることに感謝した。


コメント
薫子神様の幸せを共有させていただき ありがとうございます。
ブログを拝読させていただき 私も幸せを感じることが出来ました。
お母様、薫子神様、啓大師 ありがとうございます。
「食事」というところで、お恥ずかしい事に私の朝食は、時間に追われながらお腹がすくのを補う為のものでした。
その様な中、宮古島で薫子神からの一言で、なんてもったいない事をしていたのだと気付き、
食事はこの様に楽しむものだと宮古島で体感させていただきました。
その為、このブログを拝読させていただくと、薫子神とお母さま、啓大師の穏やかでゆったりとした
食事風景が目に浮かびました。
お母さまという存在がとても大きいと薫子神様は仰っていましたが、薫子神と啓大師のお食事も違いました。
では何が違うのだろうか?→心が美しくないからだと考えました。
ではどうしたらそう(少しでも心が美しく)なれるのかと考えますと、
少しでも個我を捨て、考え方、心の持ち方で変われるのではないかと考えました。
考え方としては、食事とは生命維持する為の動作の一部ではありますが、今世で生きていく上でお借りした身体を作る・保つための大切な役割をもっている。
なぜならば、その身体に支障があると魂磨きを進める事はなかなか困難になってしまうから、
食事とは魂磨きをするためのベース作りをしていると考えました。
そして食事(魂磨きをするベース作り)が出来るという事や、目の前に食べ物があること、
そのありがたいたくさんの恵(神・太陽・水・土・育てた人・その他大勢の方)によって生かされているのだと感謝し美味しさを味わいたいと思いました。
そして一緒に食事をする相手がいるならば、一緒に食事が出来るという幸せ(幸せの時間の共有・共感)を頂ける事に神と相手に感謝し、
過ぎ行く時間の一部をもっと楽しみたいと思いました。
薫子神様、丁寧に生きるという事の大切さを教えて頂きありがとうございました。
「今この瞬間を生きる」という在り方の美しさを、教えて下さり、有難う御座います。
薫子神様の食卓は、ゆっくりとお話をなさりながら召し上がっているのですね。
心がお美しい神様方の食卓だから、時間がゆっくりと流れ、美味しいお食事、楽しい会話の時間が過ぎてゆくのだと思いました。
我が家は最近、やっと一人の食卓から、二人の食卓に変わりましたが、会話はほぼありません。
それでも、ぽつりぽつりと言葉が出るようになりました。
「全ての現象は、私がここにいるから起こる。」という事を肝に銘じて、魂磨きに励みます。
こちらのブログを拝読し、「時間の流れは、その人の在り方によって変わるのだ」ということを學びました。
私はこれまで、時間が足りない、忙しいと感じると、その原因はやることの多さにあると思っていました。しかし、お母様がいらっしゃることで、一人分の家事が増えているにもかかわらず、家全体には穏やかな時間が流れ、食事も会話も丁寧に味わえているご様子から、穏やかな時間は、やることの量ではなく、その人の心の在り方によって生まれるのだと気づきました。
薫子神はいつも、相手を思う心や、自分の在り方が周りに与える影響の大きさを教えてくださっています。このブログを通して、心に余裕を持ち、目の前の人との時間や、一つひとつの出来事を大切にする姿勢が、その場の空気や時間の流れを穏やかにしていくのだと學びました。
私も目先のやることに追われるのではなく、まずは目の前の人との時間を大切にし、感謝の気持ちを忘れず、一つひとつの行動を丁寧に積み重ね、家族や周りの人にも安心や穏やかさを与えられる人間になれるよう努めてまいります。
薫子神、お母さまのご様子をブログにしていただきありがとうございます。
憧れのお母さまの、お姿やお声が目に浮かびます。
私も心を美しく持ちたいです。
そのためにいま、學びを深めております。
こうしなければ、こうしたらいけない、と外側ばかりを固めても、鱗が剥がれて醜い中身が見えてしまう。
芯から美しく在れば、自然と外側も光る。
お母さまの足元の足元の足元にも及びませんが、生きているうちにできる限り近づけますよう、進んでまいります。
神先生のお母様の「気持ちが幸せ」「ありがとう」という言葉と、感謝のお姿が、とても心に残りました。
お母様は、何に対しても感謝の心を持って過ごされているからこそ、日常の幸せを感じられているのではないかと受け取りました。
私自身、Ravennaへお詣りに伺い、感謝をお伝えし、神先生へ報告やご相談をさせていただく中で、“源”をより強く感じるようになりました。
当たり前だと思っていた日常が、決して当たり前ではなく、多くの方に支えられ、生かされていることに、少しずつ気づくようになりました。
そして、以前より幸せを感じることが増えてきました。
心の美しい在り方を共有していただけることが有り難いことです。
自分との根本的な違いもわかります。
そして、美しい姿にぐっと引き付けられ、心が軽くなります。