久しぶりに宮古島を訪れた。
バカンスのつもりだった旅は、予期せず「神事」となり、一つの大きなお役目を滞りなく納める流れとなった。私にとって宮古島は、やはり“神の国”なのだと、改めて実感させられる滞在になった。
「神事」と「スピリチュアル」は、似て非なるものだ。
どちらが優れているという話ではなく、全くの別物であり、同類ではない、断言する。
その事実を今回、同行した周りも強く実感させられた。
まるで、『お前らまだわからんのか。』、という神の声が響き渡るようにだ。
「神事は命懸けである」。
宮古島の真のカンカカリャーの言葉だ。
2014年の命をも財産をも削られるような神事。
「破産するのではないか」という極限まで追い込まれ、「とんでもない世界に踏み込んでしまった、これからどう応えていけばいいのだろう、どうなっていくのだろう。」底知れない魂の揺らぎの時間を過ごした。
しかし、疑いの無い神が関わる領域は、やはり違う。
この極限状態の先に待っている現象界ではっきり見せられる展開が、神からの真の召命(依頼)なのか、それとも人間の妄想に過ぎないのかを見分けられる。
深遠なる神事、そして尽きぬ感慨。


コメント
「命懸け」を目の当りにしたとき、不安や畏れもありました。
神の領域は想像以上で、人間のちっぽけさを感じます。
神先生の感じる感慨もまた、想像仕切れるものではありません。
ただただ、神先生が今、在ることの有り難さを感じています。
宮古島の神様にとって本当に薫子神様という存在がかけがえのない存在であるという事を証明された宮古島。
今ではリゾート地としての宮古島が世間には認知されていますが、その元には土地神様がいらしている。
その事を忘れて、人間は開発し、祈りを忘れて生活している。
土地神様が薫子神へ救いを求めていたと言う事は、薫子神の肉体としては大変お辛かったと思いますが、非常にわかりやすく、表現されたのかと思いました。
土地神様も必死だったのかと。
アニマルコミュニケーターである私ですが、今の世間で言うスピリチュアルは人間のママごとだと感じました。
スピリチュアルは楽しむもの。
神事は全くの別物、簡単に入れない領域、だから人間はどう生きるのかを考え無ければいけないと思いました。
宮古島は景色だけでも素晴らしく、空気も音も違う世界でした。
ずっと感動しっぱなし。
一皮剥けることが自然と出来る島。
その素晴らしい中でで、しっかりと學びを薫子神より沢山いただきました。
薫子神様、本当にありがとうございました。
神恩感謝
本物の神様でいらっしゃる薫子神様でさえ、命や財産を削り、不安に苛まれるほどの神の領域。
たかが人間の私ではありますが、いつか「極限状態の先に待っている展開」にわずかでも触れることが出来るように、薫子神様の下で個我を無くす努力を続けます。
現状が余りにも遅々としていて、途方に暮れてしまっているような状態ですが、諦めたらそれまでだと思い、日々の積み重ねから何かしらの氣付きを得たいと、もがいている最中です。
神先生が宮古島でのお役目を無事に納められ、盛岡にお戻りになったこと、本当に良かったです。
先日、Ravennaへお詣りに伺った際、たまたまベランダにいらした神先生を見上げてお辞儀をすると、笑顔で手を振ってくださいました。ほんの一瞬の出来事でしたが、無事にお戻りになった神先生のお姿を拝見できたことがとても嬉しかったです。
私にはまだ理解できない世界ですが、「神事は命懸けである」という言葉の重みを感じました。神先生に気づいていただけたこと、そしてお話しできることの幸せを感じています。」