バリに行き、驚いたこと。
交通量の多い少ないに関わらず、ほとんど信号機が見当たらない。
デンバサルール空港、正式名称はウング・ラライ空港というのも帰ってきて、Googleマップを見て知った。
この空港の周りに1つ?2つ?くらいの信号機だった気がする。
お迎えの車に乗り、これからホテルだよな、パスポート盗まれてないよな、バックも持ってる、うん、大丈夫!って落ち着いて顔を上げると、乗っている車が車とバイクに囲まれているような団子状態でスイスイ走ってる、道路が空いてるかと思いきや、そうじゃない!混んでるじゃん!
車とバイクの数は、東京や横浜なんて比じゃない。
右から左から車が入ってくるけれど、スピードは落ちない。
横から入ってくる車のスピードも落ちない、スイスイ進む。
何?これ!
信号もないのに割り込みはスムーズ、嫌味なクラクション音なんて聞こえない。
聞こえても、どうぞ、ありがと、のクラクション、しかも笑顔付き。
日本とは大違い。
北海道からこの岩手に越してきて、車の運転に先ずびっくりした。
北海道は、道路幅も広いし歩道も広くて、運転していてストレスを覚えたことがあまりなかった。
生まれた横浜では、小さい頃から父の運転席の後ろが私の定位置だったので、自分が運転している気分で乗っていた。
免許を取り、横浜の町を初心者マークを付けて走った。
自分で運転しても、父の後ろの定位置にいる時と変わらずの心地良さでストレスもあまり感じなかった。
2車線が1車線になる、初心者でも怖いことはなかった。
順番だからね。
坂道で降っても登っても、登り優先だからスピードアも変わらずで安心して走行できた。
ところが岩手はそうじゃなかった。
2車線が1車線になる時に、前の一台が入った、直進車が行った、次順番だからと入ろうとしたら、ものすごい勢いでクラクションを鳴らされ、運転手に凄い睨まれた、えっ、なんで?
坂道も登り優先だから、走って行ったら下りの車がすんごい勢いで走ってきて、止まざるえなかった。
まさか雪道では、こうじゃないでしょ?いやこうだった。
“譲り合い”、って言葉が岩手には無く、”我先に” があるのを知った。
こういう思いを幾度もしているので、デンバサルール市内での車には目を見張った。
“信号” という車社会でのルールが無い、しかも事故も無いに等しい。
車移動が殆どだった今回、車同士の事故は一回も見なかった。
日本人はルールが無いとダメな人種になってしまったんだな、ほんとに。
自分で考える、相手も思って思考する能力が本当に無くなってしまったのを、思い知った。
混んでいようが空いていようが信号機が、行っていいよ、今は止まって、と教えてくれる日本。
なんの感性を働かせなくても大丈夫!
バリの町は、自分たちでお互いを考えながら進む。
スピードは出ているけれど、相手のスピードを落とさないように気を配りながら入り、スムーズに進む。
ブレーキが掛かることはほとんど無い。
スピードを出しながら瞬時に、行けるかな?行けないかな?この判断は、直感という感性の一つだ。
車社会の日本の日常で、車を通してでも日本人は自分の感性を潰している。
そんな日本人に、能力があり健康なヒーラーなんていないよな。
感性が鈍っている日本人ヒーラーが内宇宙にしか繋がれないのも、こういう部分からも推察できる。
ルールが無いと自分で決められない日本人。
ルールがあっても守れない日本人。
日本人の心の乏しさはここまで来たか、と……。
買い物行くのにルート4を走った。
そこいら中にある信号機を見て、信号機が多いってことは電力も使うよな……、ため息が出た。
どうにかならんかな……。
まぁ、だから見切りを付けたんだけどね。
でも手をつけないと、種も手にすることは出来ないから、やらないとね。
コメント
日常的に車を運転している私も、バリの交通量の多さと、ギリギリの車間距離で結構なスピードを上げているのに、車もバイクも事故にならない感覚に驚いていました。
しかもブレーキを踏むことなく、スイスイと走っているんですよね。
あの交通量とスピードで。
あれは、バリの人たちの研ぎ澄まされた直感を使っていたからなんですね。
アニマルコミュニケーターを生業としている私には
「そんな日本人に、能力があり健康なヒーラーなんていないよな。」
「感性が鈍っている日本人ヒーラーが内宇宙にしか繋がれない。」
は、相当耳が痛いです。
ともすれば、内宇宙との繋がりさえ危うい私には「日本人のヒーラーなんて、ロクなもんじゃない。」と言われていると同義です。
「自分で考える、相手も思って思考する能力が本当に無くなってしまった日本人。」
「ルールが無いと自分で決められない日本人。」
「ルールがあっても守れない日本人。」
ないない尽くしの日本人である私ですが、今生で薫子神と巡り合い、その下で直接學ばせていただく、ありがたいチャンスに恵まれたのですから、どうにか地球のためにこの体を使って、働かせていただきたいと常に考えています。
薫子神から學ぶことは、地球や自然から學ぶことだと感じています。
薫子神の下で學ぶことは私の魂が望んでいる事なので、ゆっくりとでも確実に、薫子神の下で魂を成長させていきます。
バリのクラクションは「どうぞ」「ありがとう」の会話だからこそ、優しく響くのだと感じました。
車やバイクがスレスレで追い越していくのを見て、初めは驚きと不安がありましたが、”譲り合い”の心があるからこそ、事故もなくスピードを落とさずに流れていくのだと気づきをいただきました。
ありがとうございます。
神先生のブログを拝読して、ルール以上に「相手を想う気持ち」が大切であると學びました。
運転する機会が増えたので、笑顔を意識して「どうぞ!」「ありがとうございます!」と心から伝え、日常の中で実践していきます。
“信号機”からバリの人、日本人・岩手の人の違いに學びと驚きとショックを受けました。
と同時にブログを拝読した後、2011年3月11日の震災の日を思い出しました。
その当時、盛岡市内中心部で働いていた私は、地震発生直後から停電し、街中の信号機が全て消えた光景がよみがえりました。
大きな交差点は警察官が交通整理をしていましたが、他の信号機はお互いに気をつけながら譲り合いながら進んでいました。
緊急事態の時に相手のことを思い行動したように、普段からも皆があの時のように行動したらどんなに穏やかなのだろうと想像しました。
また、当時はあらゆることに神経を使って行動していたため、精神的に物凄く疲弊した記憶があります。
神先生が仰るように、いかに日常生活では直感力や気をつかっていないか、ぼーっと生きているのか…本当に恥ずかしいです。
物凄く個我が強い私は、自分のことは横におき相手のことを考えて行動することを、気を付けて生活していきます。