サンタのオーナメント

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今日は今年最後のcafeの1日目。
35年前に息子の為に作ったクリスマスオーナメントがcafeを賑やかにしてくれる。
飾りだから動かないけれど、変わらない微笑みのサンタから「今年も良い笑顔で会えたね!」っと優しい声が響く。

このオーナメントを初めて見るクライエントは、「これ、先生が作ったの?」、とびっくりする。
『なんで、びっくりするのよ。こういうのを作っていたお母さんの時もあるのよ。」、って笑う。
この会話も、今年から通い始めたクライエントとサンタの前で交わされる。

このサンタに最多18回も会っているクライエントもいれば、昨年は会ったけれど今年は見る事のないクライエントもいる。

昨年のこの時期の写真を見たら、今は通って来れていない、通う事を断られたクライエントもいる。
ここRavennaは、お代を払えば来れる所ではないので、本当に怖い場だと思う。
どういう事?と思われるけれどそうなのだ。

ここは椅子の数が決まっている。
そして、その椅子の種類も決まっている。
私は無意識だったが、私のエネルギー体の意識がこれを作ってくれていたようだ。
お陰でずっと守られて来ているのを感じる、ありがたい。

一人出入り禁止にする、すると数日後には全く同じようなエネルギー体の持ち主がその空いた椅子に座っているから、本当にびっくりする。

この人のエネルギー体は、来れなくなるだろうな……、数日後にそれは起こる。
このエネルギー体は、玄関の扉の向こう側にある外に置いてある椅子に、ちょっと疲れたから座っていたような感じだ。
このケースは、後腐れなくて良い。

長年座っているとその方の椅子は固定化するようだ。
赦しを得ての固定化なのか、執着での固定化なのかでは、意味が天と地ほどの違いがある。
ドキッとするね。

赦しを得て座っているエネルギー体は、今までと変わらずに、”隣人を愛せよ” です。
執着で座っている肉体人間は、 “隣人を愛せよ” 、までとは言わないけれど、隣人に少しは関心を持って生きていこうよ!、です。
いい加減、自分への関心に飽きて欲しいものです。

今、新しい種類の椅子を用意し始めた、楽しみだなぁ。

コメント

  1. ゆか より:

    今年最後のカフェ、ありがとうございました!クリスマスのオーナメント、音楽、美味しいコーヒーでクリスマスムード満天でした♪

    カフェでの貴重なお話も、ずっとズキッとドキッとしています。
    それと重なるのがブログの、『執着による椅子の固定化』の部分です。
    “隣人に少しでも関心を持って生きる”…自分の課題です。
    問題・課題しかない私ですが、日々気をつけます。

  2. ゆみこ より:

    Ravennaの今年最後の午前cafeに娘とお伺いしてきました。
    椅子に座ってから、私は壁のサンタさんのオーナメントに目が行きました。
    サンタさんのオーナメントは、35年経っているようにはとても見えませんでした。
    そのサンタさんからご挨拶が、薫子先生にかけられるのもわかるような気がします。
    薫子先生は、全てのモノには魂が宿っている、話しもできる、それをその場で見させて頂いた事もあります、そしてそれは温かい言葉での会話でした。
    気持ちが優しくなれた事、たくさんあります。

    私はRavennaに長く通わせて頂いていますが、本当に来れなくなっている人を何人も見ています。
    薫子先生は私に合ったように様々、お話してくださり、學びが進むのですが、なかなか私は自分の中に落とし込めず、もうだめだと落ち込むことはよくあります。
    でも帰る時には、薫子先生のユーモアで元気を頂き、いつの間にか笑っている事に気が付くのです。

    薫子先生のこれでもかと、相手に合ったようにご指導されるパワー・忍耐強さが物凄いです。
    そんな時、薫子先生は「神よ、わたくしに忍耐力を与え給え」、と私に向かって仰り、ニコッとします、ちょっとビビるニコッですが……。
    普通の指導者なら投げ出される私、そんな私を長い年月、薫子先生は大きく深い愛で諦めずに導いてくださっています。
    薫子先生に感謝しかありません。

    60数年、執着が強く自己中心の私を味わったので、70歳を前にもう自己中心を辞めます。
    隣人に関心を持って生きて行きます。

    • kaoruko kaoruko より:

      ユミ子さんと向き合う時、この言葉が役立ちます。
      「神よ、わたくしに忍耐力を与え給え」。
      “忍耐力”、育ったよ、ユミ子さん!
      感謝! o(≧▽≦)o

  3. 大西 健 より:

    先日は、カフェに家族でお邪魔しました。
    薫子先生と啓先生、そしてラベンナの清らかでエネルギーに満ちた空間にご一緒する事が出来た事に本当に感謝致します。
    いつも美味しいコーヒーやお菓子もご馳走様です。

    私は、カフェでの初めてのクリスマスでしたので、オーナメントやキャンドル、音楽を聴いていい雰囲気だな~と感じました。
    薫子先生の「オーナメントや飾り付けは、子供が小さい時だけだからね、季節の行事は大切、記憶に残るしね。」といった事を話されたので、そんな心遣いが子供の感性や心の豊かさを育むのだなと感じました。

    ラベンナの椅子は数も種類も決まっている。
    さらに長年座っていると各々座る椅子も固定化されてくる、そう言われると私はどの種類の椅子に座っているのだろう……。
    肉体人間で、末人の私は少なくともこれから“隣人に関心を持って生きていきます”そしてさらには自分への関心を手放して“隣人を愛せよ”を目指していきたいと思います。

    今年初めてクリスマスをラベンナで薫子先生、啓先生と過ごす事が出来て思うのは、この世に現在、幸いにも人間として産まれてラベンナを知った事、この奇跡を逃さずに、そして出来る事ならば赦しを得て椅子に座って、また1年後にサンタのオーナメントの前で美味しいコーヒーがいただける様に、これからも魂磨きにコツコツ努力したいという事です。
    ありがとうございました。

  4. 敦子 より:

    今年もサンタクロースが飾られていて、ほっこりして自然と微笑み見ていたことを思い出しながら、読み始めました。

    私は通わせていただいて8年、自分も出禁になったこともあり、一緒に學んでいたヒトが消え、先生の元に来ない事は、魂を磨く機会も、その學びを受けることもなくなると思うと悲しく恐ろしく感じます。ラヴェンナの椅子の数については、日が浅い時にも、年数が重なってからも、何度も聞かせていただいており、その度に、自分は大丈夫か?と緊張が走ります。

    赦されたから座れているのか、執着して掴んでいるだけなのか、薫子先生がいつも『見た目は同じ事でも、プロセスの違いが大きな違いに繋がる』これがどういうことかは、薫子先生の深い愛のエネルギーに包まれることで、自然と理解できていく事が、本当に不思議です。

    つい先日、薫子先生、啓先生と神様のお手伝い候補生と食事に行きました。薫子先生と啓先生は食事中もそのあとも、お二人でとても楽しそうに話をしていましたが、候補生の私たちは同じテーブルに座っているのに全く喋らず、先生から話しかけていただくと、キャーと嬉しくなっておしゃべりをし、話題が終わるとポーっとして黙っていました。その姿を見て「デイサービスにいる高齢者みたいだね」と笑いながら薫子先生、啓先生が言いました。

    先生方が楽しく説明してくださるため、自分たちの行いが理解でき、笑って盛り上がるのですが、いつも言われている『隣人を愛せよ』に繋がる學びでした。
    要するに無関心さと配慮の無さは発揮せんでよろしい。目の前の相手を思えば、隣人を愛せよが実践できるという薫子先生と啓先生の突っ込みを受けたわけです。

    このように、時には厳しく、分かりやすく、難解なこともあるけれど、でも多くはとても楽しく、そしてもっと多くはとても慈悲深い愛の中で學べる。
    そんな場所は世界中どこを探してもないと思います。

    薫子先生、啓先生、本当にいつもありがとうございます。まずは隣人を見て思うことからはじめます。

  5. MIKA より:

    Ravennaにお伺いしていると、玄関先やお部屋の中で季節を感じさせていただくことが多いのと、先生の手作りの物が多いのに驚いてしまいます。
    自分の子供が小さい時は季節行事もしていましたが、いつの間にかそれも無くなっていました。反省です。

    Ravennaに長年通わせて頂いている間に本当に沢山の方とご一緒しましたが、直ぐの方・フェードアウトのように〝あれ?〟という方・突然来られなくなった方など沢山いらっしゃいました。

    Ravennaには椅子があり、その椅子には種類があり数も決まっている。
    そして、同じ種類の椅子は二つはないという事・・・。

    私は数字的には長い年月通わせて頂いておりますが、本当に同じことを繰り返してばかりで、あちこち硬いままです。
    その都度、先生は私が理解しやすい言葉や例をあげて教えてくださる事が本当にありがたく感謝の気持ちばかりです。

    先日も私の無関心さを先生とお話ししたばかり。

    肉体人間の私は隣人に少しでも関心を持って生きて生きます。

    • kaoruko kaoruko より:

      肉体人間 MIKA、隣人を愛せよ!は難しいから、隣人の存在に気づけ!、です。

      がんばれ〜