神事が始まった。
神事にはいくつかの守り事がある。
その一つに私のツヅ(先祖神)に、神事を始める挨拶に行かねばならない。
ツル子師曰く、大体は父方か母方のどちらか一方がツヅになっているようだが、私の場合は両方がツヅになっていたようで、両方に神事始めの報告に行く必要があった。
父方のツヅは私が生まれた土地の氏神がそれを担ってくださり、母方はもちろん三重県の神社だ。
ツル子師は、
「薫子さんが生まれた土地のツヅは、一の鳥居の入り口は急な階段、二の酉はその急な階段を登ると有る、そこには公園、さらにまた急な階段を登り切ると御祭神のイザナギノミコトが幼子を抱いている様子が見える。イザナギノミコトがこれは薫子、父として大事に大切に育んできた、と言って自分に見せている。」
えっ?父?私の父がイザナギノミコト!?それに急な階段?公園?私の氏神神社には階段は無い、ツル子師は何を言っているの?しかもイザナギノミコト?イザナギノミコトが私を抱っこして育てた?どういう事?えっ、なに?そんな事がある訳無いじゃん!私の父は“勲”だよ、とツル子師への疑念の思いが広がる。
しかし、これまでの話の流れから疑いの思いのまま進んでいくのは不味いな、と思い中座させてもらい、横浜の母に電話をした。
『神社なんだけど、一の酉、二の酉なんてないよね?それと私のお父さんは、“勲”だよね?』
「“勲”だよ。それと神社はいつもの入口は裏側、山の下にある一の酉から、本当は入らないとならないのだけれど、そっちは急な階段が続くから、いつも裏から入り参っていたよ。」
『!……、二の酉の所には公園?』
「そうそう、小さい頃よく遊んでたよ。」
……誠に申し訳ありませんでした、心の中で強く唱え謝罪し、ツル子師としづえさんが待つ拝みの部屋に再び入らせて頂いた。
宮古島ブルーを堪能することも許されず盛岡に戻り、すぐ横浜の氏神に参り、イザナギノミコトが御祭神である事をしっかりと驚きと共に確認し、次の週には三重県の母方氏神に伺った。
これで生まれた土地の氏神と母方のツヅへの神事始まりの挨拶を無事に終えた。
実はこの時、半年前にRavennaの仲間たちと母方氏神参りに行く予定を立てていた。
母方氏神参りが私の中では神事となり、仲間はそこに同行する事になり、慶の中でのご挨拶となった。
神はこんな小さき事までお見通しだ。
一つひとつ固められて来ている、神事は既に始まっている。
神からの依頼とは言え、“私が決めた” のだ、神に頼まれたからと無責任な気持ちは一切無い。
“神ごとを担う”、この言葉を魂に響びかせる自分の思考に、日常でも触れる事が多くなって来た事に気づき始める。
そこに日常の私の全てが傾く、初めての神事で御作法を間違えなく粛々と進める、神の願いと共に。
いよいよ最初の神事の啓示を受ける時が来た。
神がツル子師に、はっきりとどこそこの神社、とは伝えて来ない。
神がツル子師に降り、言葉や風景を見せそれを言葉にして伝えてくる、一番最初に詣る場に関してはこんな感じだった。
「こんな形をした(手でやって見せてくれる)地形の所にある。大きな山、岩山も見える。そこにある神社、大きな岩山は裏に見える。」
『?、どこ!そこ?(そんなん日本中にあるじゃん!)』
この情報だけではどこにあるのか皆目検討が付かず、周りにはどんな風景が見えているか、人はいるのか?乗り物は何が見えるか?など、人からの目線でも情報が欲しかった。
こんなんでいいのか?と思いながら目星を付けていく。
その場が合っているのかそうでないかの判断は、どうすればわかるのか尋ねると、
「薫子が目指すところがそこだ。」
『……。』
自分を信じる力を否応なしに養われる。
検索をしツル子師の言葉の裏付けとなるような所に、ここかも?、ぐらいの検討を付け、私も啓も仕事の調整をし、7月末にその辺りに宿を取り航空券を購入、ここもマイルですんなり確保出来た。
このマイルですんなりが、ここだ、ここに違いない!と言う気持ちを静かに静かに強くさせていく。
この頃はまだこんな具合での確信を得る手立てしかなかった。
最初の神事の行き先も決まり、拝みも覚え、お線香の準備も整い、御作法も万全になりかけた時、激しい腹痛が私を襲い始めた。
48時間のお産に耐えた私は痛みには強かったが、この痛みは尋常じゃ無かった。
痛みに襲われながらの数日間は、神事で仕事のシフトを変更した、毎日の掃除洗濯もある、ワンコの世話もある、啓のお弁当も作らないとならない、だからこんな痛みに負けてはいけない!、痛く無い!痛くなんか無い!痛いのは錯覚!ぜんぜん痛くなぁ〜い!と強く思い込ませた。
数日間の痛みを無視ししながら絶頂の痛みを抱えながら、床についた晩、夜中にどうにもこうにも我慢が出来なくなり、飛び起き、暗闇の中で仁王立ちし、“痛~い!”ととうとう叫んでしまった。
だから病院行こうって言ったのに!と啓。
慌てた啓は、救急に車を走らせてくれた。
痛みに耐えながら様々検査した結果ドクターから「胆嚢が破裂寸前、今お腹を開くと危ない、腫れが引くまで点滴をし、腫れが引いたら摘出しましょう、今日はこのまま入院です、帰ることはできません。」と言われ、痛みに悶絶寸前の私は、その指示に従うしかなかった、従いたかった、
痛みで意識が朦朧とするが痛みで意識が戻る、を繰り返す中で頭にもたげて来るのは、”神事”行けないかもしれない、どうしよう……どうして今なの?ちょっとごねたバチなのか?それなら謝るから、この痛いの何とかして!食生活が悪かった?いやいや、野菜中心の食生活をしているのに、なんで今?胆嚢が破裂寸前?だいたい胆嚢はどうしたら悪くなるのか?……神のお役に立てられるのに……あんなに悩んで決めたのに、どうして今なの!神さんごめんなさい許してください、行けなくなったらどうしよう……しっかし、痛ったい、くそ!だった。
四六時中の点滴の末、腫れがやっと治まり入院から7日目に内視鏡手術で胆嚢を摘出した。
術後医師に呼ばれた啓、トレイに乗せられた摘出した私の胆嚢を見ながらドクターは、生検に出す事を話しながら、激しい痛みの原因となった胆嚢内の石と泥を見せようとしたが、石も泥も見当たらなく、ドクターが少し焦った表情を見せた、と話しだした。
結果、痛みの原因となる石も泥も見当たらなかった。
それを聞いた私は、じゃなんで取ったの?石も泥も無いなんて、どういう事?そして退院してからなんで言うのよ!、と困った顔の啓に、少し怒って、いやいや結構怒って言ってしまった。
啓はボソボソと、
「……実はこの入院と手術で保険がかなり降りました……。」
『!』
どう言う事!?えっ、もしかして?……
そうなんです、神事に行くのにツル子師の前で懐具合を理由にごねた事を、神は許す事はしなかった。
この神事に関わる神との付き合い方を、痛みを通し厳しく伝えられた。
神は畏れ多い存在、この神もそう、そしてどの“魂”を担っている神なのか……。
最後までしっかり神事をやり遂げます、試されるような行いはもうしないから、と何度も何度も神に手を合わせた。
時系列で説明すると、
しづえさんに「那覇で待ち合わせしない?それからすぐ宮古島に飛ぶよ。」
宮古島にてカンカカリャーツル子師から「神が薫子に頼みがある。」
最初の神事に行くための宿と航空券手配、ふたつのツヅ(横浜と三重県)に神事初めのご挨拶。
胆嚢摘出手術で10日間の入院。
最初の神事地、愛媛県大山祇神社に向かう。
時系列で追うと、”神に追われている”事を実感する。
愛媛県今治市大三島町宮浦に鎮座する“日本総鎮守 大山祇神社” に辿り着いたのは、退院して七日目だった。