宗教心

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「宗教じゃない、それって。」、って言葉を投げかけられた時の私の心に広がるなんとも言えないじわじわ迫ってくる憤りを感じるのが、ほんとに嫌だ。

今までどれほど言われたことか……。
面と向かって言われたこともあるが、話したことも無い相手から言われるとほんとに憤る、面と向かって言ってこいや!ってね。

嫌だ嫌だと思うのは性に合わないから、自分でもそれに抗う言葉を用意した。
神の存在がなければ我が一族は成り立たなかった、これは自分に。
相手には、七五三で神社に行きませんでしたか?お正月には神社に初詣に行かないの?流れ星が流れた時に三回願いを唱えないと!、と必死にならなかった?何かに縋りたい時に思わず神様!って手を合わせ言葉が出た事はない?結婚式は教会?神前式?どちらも神に誓うでしょ?これらの行動をあなたはなんと説明します?
負かしたいわけではないが、ここまで言葉にすると相手は大抵、口ごもる。

神と仲の良い私としては、神を否定する輩にはついつい熱くなってしまう。
自分の大切な存在が存在するのに、存在しない、と言われたらどう思うのだろう?
この世で生きる処世術、それを宗教では教義と表現するようだが、それを伝えてきてくれる重要な存在と、それを受け入れている私を、輩の狭い準拠枠でなぜ評価・否定するのだろう。
神の存在には触れられないし、それがどういう事に繋がって行くか知らないから怖いのかな?
ここまで考えが進むと、輩を可哀想に感じてくる。
そもそも人は毎日何かを感じて生きている “宗教的な生き物” だと表現する事も輩は知らないのだろうな。

こんな事を深く感じ、言葉が並んでしまうのは、決まって”
神の国 宮古島”から帰って来た時だ。

神がいる御嶽は言葉は悪いが、そこいらじゅうにあるから神を途切れなく感じ、感じて当たり前の島だとわかる。
神聖な遣いは姿も現し「ここにいるよ」って気付かせようとし様々なアプローチの嵐を浴びせてくるw。

絶え間なく流れている神のエネルギー、それに包まれている島にいるのはほんとに心地よい。
“神” がね、この間はこんな試しをして来たんだよ、って憚らないで言えたりするのも、ほんとに楽しい。

言葉を失うような美しい超自然的な中に自分が存在し、それを感じている自分を理解出来た時が、自分の中にある” 宗教心” に触れている、って証だ。

宮古島ブルーと言われる宮古島のキラキラ輝く海を見て「綺麗だな。」は誰でも感じれる事。
綺麗だと感じ、言葉を失ってしまうその一瞬の自分の心を捉えられたら、それが宗教心に他ならない。

先ずは、自分の中にある “宗教心” に触れられる時間を作れる生き方をして行こう!
そんな時間が作れないなら、作る努力をしよう!
作り方がわからないのならば、伝えられるから私に「作り方わかんない!」って伝えて来て。
がんばらないと、何事も起こらない現象界に生きているのだから。

“宗教心” が有る人と無い人の有り様の違い、魂の質の違いの想像は容易いよ。

こんな終わり方?このBlog……
この続きはまた。
 

コメント

  1. 敦子 より:

    「綺麗だと感じ、言葉を失ってしまうその一瞬の自分の心を捉えられたら、それが宗教心に他ならない」

    この言葉に、神先生の神社で、神先生の言葉に反応し木々が答え、風がなり、言葉にならず涙が溢れて止まらなかった時を思い出しました。

    そしてとても貴重な経験、体験、時間を過ごさせていただいたことに感謝の気持ちが溢れました。

    宗教心が皆無だった私。
    今もまたまだです。
    神先生にお会いしていなければ輩以下。

    「自分の中にある “宗教心” に触れられる時間を作れる生き方をして行こう!」

    この言葉に救われました。
    宗教心に触れられる時間を作れる生き方をしたい、変わりたいと願うだけじゃなく、作る努力とわからないを伝えます。

  2. naomi より:

    夕焼けの赤く染まった空を見上げた時など、ハッと息を呑み一瞬、時が止まったような感覚を覚える経験があります。
    雄大で美しい自然の中で、人間はちっぽけと感じます。

    神先生に”宗教心”と繋がっていると教えていただき、なんだかとっても嬉しい気持ちになりました。
    大切に感じる時間、心をキャッチする感度、貯めていきたいと思いました。

  3. eiko より:

    自然の色や澄んでる感じ、今にも波が動きそうなとても綺麗な写真です。
    宗教心は、深く考え、自己理解をし、自分を中心に置いていたら感じることのできない、綺麗な心に触れることなのかなと感じました。
     神先生、宗教心に触れる時間の『作り方わかんない!』です。

  4. ゆか より:

    神先生に出会わなければ、“宗教心”という言葉も私は知りませんでした。
    この数ヶ月、大きな存在を信じざるをえない出来事を次々と体験させていただいております。
    仕事においては、約10年前にはなかった感情・思考で向き合っています。

    全ては神先生がいらっしゃったから、神先生が導いてくださったからです。心より感謝申し上げます。感謝という言葉ではとても足りない位です。

    恥ずかしく申し訳ない程の未熟者ですが、“宗教心”に触れていきたいです。神先生に“宗教心”に触れられる時間の持ち方、生き方を教わっていきたいです!
    どうかよろしくお願い致します!

  5. sato より:

    昨日、仕事をしていて空を見上げたら、雲一つない青空で、何とも言えない、ありがたい気持ちになりました。
    外にいると自分は小さな存在で、自然はすごいなと日々感じます。
    神先生の仰る、宗教心に触れられる時間を作りたいです。
    その前に宗教心に触れる時間の作り方が分からないので、教えていただきたいです。

  6. かなみ より:

    毎朝、小学生の登校班と一緒に歩きながら、岩手山の雄大さやその日の空模様、虫たちの活動などの自然に心が動かされていますが、それは誰でも感じられること…

    超自然的な中に自分が存在し、それを感じている自分を理解できるようになりたいです。
    宗教心に触れられる時間の作り方、どうか教えて下さい。

  7. オガ より:

    l心が感じているのに、目で見ようとし過ぎていたと分かりました。
    アニミズムな感覚というか、温かく包まれ満たされるあの感じが宗教心なのだなと思います。
    これを否定しては、自分が成り立たない感じです。
    何と区別し、何が大事なのか整理していただけと思いました。