小学校1年生のどうとく

ブログ

この春、孫が小学校に入学した。
新しいランドセルの横に彼がこれから学ぶ教科書が並んでいた。
私が興味を持ち手にしたのは “どうとく”の教科書。

最初の1ページを開けてびっくり!
今の小学生はこういう内容を小1から学んでいるんだ……私たちもそうだったのかな?
こんな内容を勉強してきているのに、今の世の中、どうしてこうなっちゃったの?

先を読み進めて行けば行くほどに、ほんとに人間は何をしているのか……
学校ってなんだ?何を學んでるの?と。
何より恥ずかしいのが、大人道徳で私が口を酸っぱくして伝えている事が、小学生1年生の最初のページだって事。

何か出来事に向き合ったら、スルーしないで、なんで?どうしてそうなったの?って考えてよ。
考えたら、それを実践してみて、実践しないと何も學べないからね、って伝えていますよね。
……ページをめくってガーン……だったけれど、仕方ないよね、だって “◯” だからね。
でもさぁ、やろうよ、って思います、本当に……
いい加減自分の事ばかり考える事に、飽きようよ。

人が生涯向き合っても出来ない大きな課題だから、ちっちゃな小学1年生から学ばないとならないのか……。

私が小5の時、今も鮮明に覚えている道徳の時間があった。
1時間目は国語の時間だったのが、先生が教室に入るなり道徳の時間に変えます、と話し授業が始まった。

先生は、「昨日の夕方小岩くんの小学生1年生になる弟さんが、降りたバスの前を横ぎり、そのバスを追い越してきた車に轢かれ、すぐに救急車で運ばれましたが、亡くなりました。小岩くんはしばらくお休みになります。」、小岩くんは我が家もお世話になっている町のクリーニング屋さんです
一瞬、教室は静まり返り、先生も下を向いたまま、聞こえて来たのは、女子の泣き声とバタンって誰かが倒れた音でした。

私は、先生がナレーターになっている感じになり、事故の映像が目の前に映り出し、あっ!っと小さく声を上げ、ドキドキが止まらなくなっていた。

小岩くんが学校に来たら皆さんはどうしますか?何と声をかけますか?考えてみましょう。と、静まり返った教室に、先生がこれから考える事を黒板に書くチョークの音が響き渡りながら、みんな下を向きながら小岩くんを思い考えていたのを覚えている。
暫くして小岩くんは挨拶に学校に来たけれど、それきり来なくなった。
我が家のクリーニング屋さんは変わった。

結局、小岩くんにクラスみんなで考えた言葉を伝える事は出来なかったけれど、誰かが病気で休んだ時など、休んだ人の係を率先してやったり、授業のノートを取ったり、配られたプリントをきれいにまとめて机に入れてたりして、小岩くんの事がきっかけで、クラス内が変わっていった。

私たちのクラスは小岩くんの悲しい出来事から、しっかりと “どうとく” の1ページ目が実践出来ていった。
悲しい出来事を、“悲しい”、で終わらせていたら、クラスが変わる事はなかった。

こういう事ですよ、皆さん。

写真は令和元年の“しょうがく どうとく ゆたかな こころ” 光文書院 です。

コメント

  1. 敦子 より:

    薫子先生 新しいブログをありがとうございます。

    一番最初の写真を拡大して読み、ガーン。。。これは薫子先生にいつも言っていただいていること。。。読み進めて、薫子先生が感じておられるお気持ち『どうして』がグサグサと刺さります。

    自分の小さな頃の道徳の時間を思い出そうとしても、思い出せず、『考える。感じる』をしてこなかったから覚えていないのだとわかりました。

    薫子先生の5年生の時の体験を読ませていただき、私ならなんて伝える?なんて伝えたらいいのだろうと考えています。薫子先生とこのことについてお話したいと思いました。

    薫子先生にお会いできた二度とない最後のチャンスを無駄にしないと強く誓いました。

    薫子先生 頑張ります。

    最後に出版社など詳しく書いていただいているので検索したのですが、薫子先生にお聴きしたとおりに、アマゾンでは売り切れでした。
    もう中学生になってしまった甥っ子の道徳の教科書がないか姉に質問しています。子供のいるスタッフにも持っていないか聴いてみようと思います。

    • kaoruko kaoruko より:

      どんな方面からでもいいから、學んでよ、あっちゃん。
      あたしゃ、もうトホホよw
      万策尽きそう……

  2. 敦子 より:

    薫子先生 周りで起きることに無関心な自分も棄て、先生に確認をして様々なことを學びにします。いつも本当にありがとうございます。

  3. MIKA より:

    先生、ありがとうございます。
    今回、先生がお孫さんの道徳の教科書をブログに載せてくださらなければ、今の小学生が学んでいる事を知る機会はありませんでしたし、知ろうと思うこともありませんでした。

    先生は幼い頃のお話を、私達の頭にその情景が浮かぶようにお話ししてくださいます。
    〝どうして、先生はこんなに覚えていらっしゃるのだろう・・。〟と思っていました。
    今回のブログを読ませていただき、先生はずっと、本当にずっ〜〜と以前から
    『なぜ?どうして?』から始まり、考えて、実践して積み重ねてこられた、と感じました。

    先生が経験されたことを伺いながら、學ぶことができるのはとても貴重なことです。
    何処を探しても、何処にもない場所です。

    先生とお会いして私は、『なぜ?どうして?』ということを學ばせていただきました。
    それ以前はいつも〝しょうがない‥‥ 〟で済ませてきました。

    何処にもない場所で、何処にもいらっしゃらない先生の足元のずぅ〜と下で、
    『なぜ?どうして?』から、考え、実践できるように學んでいきます。

    • kaoruko kaoruko より:

      美香さんのおっしゃる通り、色々とずっ〜〜と、ずっ〜〜と、すっごい前からなんですW、きっと。
      っていうか、それも誰かに教えられた記憶もないW

      「……実践できるように學んでいきます。」、ここから前に進んでないような気がする……w

  4. naomi より:

    薫子先生、小学校1年生のどうとくのブログを読みました。ありがとうございます。
    幼稚園を卒業したばかりの1年生、すごく大切で難しい事を学んでいる事を知り、びっくりしました。そしてすごいなと思いました。

    自分が小学生の時の道徳の授業で何を学んだか、記憶を辿ってみましたが、あまり記憶になくて「えこひいき」の授業だけ思い出しました。

    薫子先生に、何度も教えていただいているのに、今だに”何でだろうと考えて、実践して振り返る”ができません。
    だからずっと『悲しい出来事を”悲しい”』で終わりにしてきてしまったのだと教えて頂きました。
    過去には戻れないけど、繋げられない、変わらないはもう嫌なので、関心を持って、相手の気持ちを考えて行動していきたいと思います。

    小学生の姪っ子から道徳の教科書を借りてみます。そして、道徳の話しをしてみたいと思いました。

    • kaoruko kaoruko より:

      昨日のリラクセーションで自分のノートに書いとことを忘れずに、一つひとつ丁寧にやって行こう!
      そしたらこの”どうとく”の學びに自然繋がって行くからね。

      感情無い、って言葉をnaomiさんからしばしば出ますが、”「えこひいき」の授業だけ思い出しました。”、を読んで、あるじゃん!って思ったよ。

  5. eiko より:

    私も娘の道徳の教科書を見て、普段言われていること、わかった顔して子供に接しているけどできてない。。
    私が小学校の頃はどうだったかなと遠い記憶を思い出してみたら、道徳は算数のような正解のないみんなで考えようの時間だったと思い出しました。
    家族で話し合いをする機会がなかった私にとっては得意な授業ではなかったと思い出しました。
    授業の一つとしてしか捉えてなかったんだと思います。
    悲しいを悲しいで終わらせてたんだと思います。自分はどう考えるか?聞かれていてもみんなはどう考えるんだろう?だったと思います。
    でも今はそこに相手がいたらどうするかなと順番を間違えなければ考えることができる事と思いました。
    スルーせずになんでどうして先生はきっと出来事に対してちゃんと感情が出てるから?動いているから?前の出来事もつい最近の様に出てくるのかな?と感じました。

    そこに触れず出来事で捉えているから出来事の、報告でしか出てこないのかな?と。
    もっと素直に、純粋に自分の気持ちを聞いてみようと思いました。

  6. ゆか より:

    先生、1年生の教科書を内容を教えてくださり、ありがとうございます。

    小学生の子ども2人の親である私は、冒頭からハッとし、恥ずかしくなりました。普段、子供から質問されたり、出来ていない所がないと教科書を積極的に開くことがなかったからです…。また、自分が小学生の時のどうとくの授業の明確な記憶もありません…。

    子供の小学校では、普段どうとくの教科書は学校保管のため、慌てて上の子の去年まで使っていた3年生のどうとくの教科書を開いてみました。
    先生のおっしゃる通り、いつも先生から言われていること、教えていただいていることばかりでした。

    もっと周りのあらゆることに疑問や興味を持ち、思考し実践してみる…。私に足りないことばかりです。情けないです。
    本当に今ある日常生活の中に學びは沢山あることを、このブログから改めてビシビシ感じております。

    感じているだけでは何も進まないので、まずは子供の周りのことにもっと興味を持って、子供たちと接していきます。
    今日、子供たちが帰ってきたら、もっと興味関心を持って“どうとくで今はどんなことを学んでいるのか”などなど沢山会話をします。
    日頃から周りのことに興味疑問を持って行動することを心掛けます。

    先生、何度も何度も伝えて下さりありがとうございます。

  7. ゆみこ より:

    小学校1年生のどうとくのブログをありがとうございます。

    この教科書の写真を見せていただいてもボーッとしている私に、薫子先生が1項目毎に教えてくださいました。
    改めて最初の「なぜ?」のといをみつけることから全てやってない‼ということがズンと入ってきました。

    以前、薫子先生に考える事がわかりませんとお伝えしたことがありました。
    まず「なぜ?」「どうして?」がなかったから考えることもなく、わからなかったのかなと思いました。

    薫子先生に何度も仰っていただいていることです。
    大変申し訳なく思います。
    何とかしないと!やらないと!この機会を逃さずにやります。

    この春、小学校に入学した孫がいるので、道徳の教科書を家に持ってきた時に見せて貰おうと思いました。

  8. satomi より:

    私はなぜ?どうして?と思っても行動にうつしてきませんでした。
    人の顔色を伺い、私が我慢をすれば良いと思っていました。
    でも、そういう自分はもう嫌なので、1つ1つ実践していき、前に進んでいきます。
    時間はかかっても必ず変わります。

  9. かなみ より:

    ブログのアップを有難うございます。

    私は道徳の授業をあまり覚えていませんが、道徳は他の授業の穴埋めや活動で削られることが多い科目でした。
    1番削ってはいけない科目なのに…
    悔しい気持ちでいっぱいです。

    娘の教科書を開くと優しい言葉で大切なことがたくさん書いてありました。
    学習内容の説明の1つに『誰かと心をつなぐことについて、学習します』と書いてありました。
    切ってしまう私が最も学習して実践しないといけないじゃん!っと恥ずかしくもなりました。

    娘の卒園時に『考えられる大人になるんだよ どうしてかな?なんでかな?って、ね。』、と薫子先生にかけていただいたお言葉が大事なことを伝えられるように自分も頑張ります。

  10. オガサワラ より:

    道徳で学ぶことは「生きる意味、生きる上で大切なこと、よりよく生きる手掛かり、周りの人との豊かな関わり、人生の意味をどこに求めるか」だと中学校の教科書には書いてあります。

    いじめ問題を背景に5年ほど前から教科化され、記述評価もしているのですが、教える力が足りないと悩みます。
    子どもと一緒に別の見方もあるのではないか、そもそもどうしてその価値が大切なのか等と自分にとっての当たり前を問い直す時間でもありますが、わからないことがわかるだけの時もあります。
    気付き、考え、実践することを心に置き、子どもの前に立てる自分でありたいです。

    常に考え続ける視点を与えて下さる薫子先生、いつもありがとうございます。

    • kaoruko kaoruko より:

      “記述評価”、これは難しいね。
      教え伝える力が足りないとも感じているんだね。
      いつも考え悩んでいるもんね。
      あなたのように感じ考えている教師がどのくらいいるのかな?

      “わからないことがわかる”、ここはとても大切。
      課題があるのに課題に気づけない人には、何も訪れないから。

      オガサワラさんが考える、あなたの有り様、一緒に考えたいと思いました。

      コメントをありがとう。