天孫降臨の地

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天孫降臨の地、霧島に行った。
突然にお呼びがかかる神事だが、今回はゆっくりと周りを固めるようにそろそろと、啓を通して伝えて来た。

昨年10下旬、なんだか邇邇芸が呼んでいる気がする、と言い出した啓。
えっ!?邇邇芸?霧島じゃん!鹿児島じゃん!!遠いじゃん!!!
以前なら、気のせいじゃない?なんかそんな文字をどこかでかすめたんじゃない?、と言っていたが、今の啓にそれは通じない。
モンゴルのシャーマンに弟子として迎え入れたい、と言われ、太田先生の鍼灸では700を超える数値になって来たのだから、それなりのエネルギーの持ち主のこの言葉には真摯に向き合わないとならない。

何気に付けたテレビ、”鹿児島・霧島” 特集。
何気に付けたテレビから、”霧島神社に行こう!” 特集。
日本全国高速道路から眺められる日本の滝百選特集、鹿児島県姶良市加治木町にある “龍門滝”がテレビから流れてくる。
仕事で東京に行った啓、いつものお土産を買おうと向かうと店舗が変わっていて、そこのお店の名前が字は違えども “仁々木”。

啓、伺います、って決めないと、まだまだ来るよ。w
「瓊瓊杵尊、ありがたく受け取ります、伺います。」
その日からピタッと彼の意志は収まり、航空券・宿とすんなりと予約出来た。

そして決めてから4ヶ月目、霧島・天孫降臨の地に迎え入れられた。

前が隠れるほどの霧の中、車を走らせて行くと、霧の中に立つ”天孫降臨の地”の立札が目に入った。
立派なツノの牡鹿と優しい顔つきの雌鹿が霧の中を一対づつ横切り、横切った後こちらを凝視する。
彼らに、『迎えてくれてありがとう。』、を伝え再び車を走らせる。
左頭に空間が生まれキーンと劈くような音が響き、全身に何かが走る。
運転している啓は、綺麗なソーダ水が足から流れ入り、頭を流れて行っている、と表現する。
結界をくぐった瞬間だ。
邇邇芸尊を待たせているのがわかり気が急いた。
霧をわけるように急カーブを車で急いで登る、日が暮れる時間が迫って来ていた。

無音の空間にひっそりと邇邇芸尊降臨の地がそこにあった。
啓はそっと歩み寄り、私は声を出し語りかけた。

無風の中、紙垂が根元からちぎれるのではないかと危惧するほど、ぐるぐる回りだす。
長らくお待たせしてしまい失礼致しました……もうそんなにもう回さないで……明日もまいりますので、収まりください……。
そう伝えると紙垂のぐるぐるがピタッと収まる。

全てに安堵し宿に入り、夕食まで一休みしながら写真を見た。
画面いっぱいの赤い色、啓の姿がうっすらとしか写っていない真っ白の2枚の写真が撮られていた。

なんでこんな写真?
啓は何かの拍子に指が触ってしまったんだよ。
してないよ私……、でも知らないうちにしたのかな?……。

夕食後、天孫降臨を表現した演舞に見入り、神話の世界に浸った。
あの写真!これだよ啓!邇邇芸が呼んだ理由!と横を見たら、啓の顔が固まっていた。
瓊瓊杵尊の思いを啓も理解していた。

この続きは、Ravennaで……。

コメント

  1. 敦子 より:

    朝、ブログを訪れ新しくアップされていて、嬉しい気持ちと、読んでいるときに、神聖な優しい空気に包まれスーっと心が落ち着きました。

    啓先生が、『伺いますと決め、ピタっと啓先生の意志が収まり』とかかれている段落を読みながら、薫子先生と啓先生が何度も教えてくださっている「自分が決める。覚悟する」ことの重要さを感じ、引っ張っていただき後押しもしていただいている、肉体人間から自分が離れると決める。決めなければと思いました。

    霧島でのお話しは、映像でみているかのように感じるだけでなくその場で見せていただいているようにも感じられました。また紙垂のぐるぐるは、薫子先生の神社で見せていただいたときの感情と重なり感謝の気持ちが溢れでています。

    『この続きはRavennaで、、、』
    に緊張もありますが、ワクワクとドキドキしています。

    薫子先生、啓先生に今世でお会いできた奇跡に改めて深く深く深謝します。

  2. ゆか より:

    数ヶ月前に陰陽師cafeで、大変ありがたいことに啓先生の”仁々木”のお土産をコーヒーと一緒にいただき、邇邇芸尊のお話も伺っておりました。
    Ravennaの玄関にあるカレンダーの邇邇芸尊のイラストの可愛さも相まって、とてもあたたかい気持ちになりました。ありがとうございました。

    昨日の瞑想時には霧島でのお話・写真を拝見しまして、改めて神聖なお話に身体が熱くなり、胸は一杯になりました。
    その後の邇邇芸尊にも驚きました。
    先生と啓先生の元だから起きたこと、それに触れさせていただいたことに心から感謝致します。

    そして昨日は自分とRavennaに、より一層距離を感じました…。自分の魂を磨いていかなければ、どんどん遠くなって手が届かなくなってしまうと感じました。
    學んだことが出来ずに、先生や周りの方々には本当にご迷惑をおかけしながらも実践していきます。