大人を叱る

Japanese

このタイトルを見て、わっ!、と思うタイムリーなクライエントはいると思う、だけどあなただけではないからね。

「大人になって叱られる事、しかも肝に来る叱られ方は無い……。」叱られた事を感謝に変えられるクライエントの言葉を耳にするが、えっ?叱られないの?親は叱らないの?と、不思議に思う。どうやら、”叱られていた”のではなく、”怒られていた”ようだ。”叱る”と”怒る”は違うからね。

42歳まで、私はしっかり父に叱られていた。研修や帰省で実家に帰ると、着いて2、3時間で父は、「何時に帰るんだ、新幹線の時間もあるだろうから、送って行くから早く言えよ。」、と遠回しに早く自分の家に帰れ!と伝えてくる。「そんな事いわないで、お父さん、せっかく帰って来たのだから。」、と母。そんなやり取りを耳にするのが嫌なのと、父への反発心で『わかったよ!帰ればいいんでしょ!帰るわよ!』、「ほらな、薫は全然成長していない、ちょっと癇に障ると、これだ。」、やられた!と思うがもう遅い。それで終わるならいいけれど、そこから延々、私が知らない私のことを色々と、耳に痛い事もこれでもかっ!って言ってくる。そうこうしているうちに泊まる事に。何だよ……お父さん……(ブログ上なので、◯◯じ○ぃ、とは書かないw)。

父が亡くなり暫く過ぎた頃、何か物足りなさ、何かどこかに落とし物をして来た?なんだか胸にポカンとした感覚が現われた。なんだろ、これ?、あれ?そういえばここのところ私、叱られていない、誰にも叱られてないじゃん!って、このポカンはそれ?

あっ〜〜、お父さんだけが叱ってくれていたんだ……悔しいけれど、お父さん、ありがとう!

父は私の大きな大きな指針だった。父に叱られている時の私は、めっちゃ嫌な顔をしていたと思う。父が「なんだその顔は!」、って言っていたから。口答えは怖過ぎて出来なかった、だから顔で戦っていたんだと思う。

父が居ない今、父の様々な言葉が生きている。肉体は無くなっても父に叱られていた時に父と共に作った感情界は消えない、何かあるとそこに行けば父の言葉に触れられる。共に作ったエネルギーに触れられる。永遠の別れなんてない事もそこでも理解出来る。ちょっとそれたね。

クライエントに”叱る”、”怒る”のではないが、結構ドキドキ。大人だからね。でも今伝えないと、ダメよね、クライエントの魂の成長に触ってしまう。それは神さまの本意とする所ではない!(ちょっと神さまに預ける)だから叱っても伝えないと!と。私の心はすったもんだして、伝える心に行き着いて言葉にしているのよ。

だって嫌じゃない、大人になっても叱られるって。

 

コメント

  1. MIKA より:

    心がすったもんだしての愛のあるお叱り!嬉しいです。

    政くん可愛い〜^ ^

    • kaoruko kaoruko より:

      “すったもんだ”も、だんだん少なくなって来ているから、ホッとしています。
      ほんと、手放すことがへたっぴな私です。

      政之助ね、わんこもわかるよね。

  2. 敦子 より:

    叱られると怒られるの違いを言葉の意味ではなく本当にわかってる人が少なくて、自分はもちろん、世の中もズレてしまったんだじゃないかなぁと感じました。

    父も母も叱ってくれていたけれど、当時はわかっていなかったし、薫子さんにお会いして、痛いこと響くこと刺さることをたくさん言っていただき、やっとわかってきたからこそ、きちんと育ててもらったんだなと思えるようになりました。

    父との関係はむちゃくちゃに絡まってしまった糸のようで綺麗な形に解くのはもう難しくても、昨日、今日のお話、そしてブログを読み、解いて綺麗にしなきゃと思っていたけれど、解かなくても、ぐちゃぐちゃなまんまでも心からありがとうございますって言える自分になる努力を続けることが大事なんだなと思えました。

    そうなるにはまだまだ學んで実践して感謝して、反省して、実践して、と、ずーーーっと最後まで諦めずにつづけていくこと以外にない。ということも実感しています。

    大人になって叱られるのは確かに嫌だけど、叱られないとわからない、びっくりしないドキドキしない自分もいることをしっているので、とてもありがたく本当にお会いできてよかったと思っています。いつもありがとうございます。

    今日もブログ読めて幸せです

    • kaoruko kaoruko より:

      普段から相手の事を思い行動している人間が皆無の世の中で、感情が揺さぶられる状況になるような時に、相手に対し”叱れる”のか”怒ってしまう”のか……。

      与えられた愛情以上の愛情を自分の中から生み出すのは、言葉では表せないトラウマの中を歩かなければならない。
      でもそこをしっかり見つめて歯を食いしばり、なにくそ!という気持ちで歩いて、何かが見えてくるのかもしれない、いや、見えてくる。
      あっちゃんは今この道を瞳を逸らさずに歩いている、と感じた。

      ちと重いコメント、お許しを。

  3. eiko より:

    ブログを読ませて頂いて、あーっと自分と重なるところが多々あり、、、自分の中で整理して言葉にするのに少し時間をください。。。

    • kaoruko kaoruko より:

      eikoさん、いいよ!
      こういう、自分の気持ちを素直に言葉に表せる、いいね!
      うまく書こう、なんて気持ちは一切必要無い!

      待ってるね。
      ありがとう!

  4. シズカ より:

    初めてコメントします!
    まずタイトルにドキッと。そして、薫子さんも叱られていたんだ、、と思いました。お父様、どんな方だったのかな、と。大人になっても叱っていただけることのありがたさ。叱っていただけることに甘えてもいけないなと思いました。
    叱ると怒るは違う、教育の面から親としてもよく聞く言葉。あっ、また言葉、、うぅ、難しいです。

    • kaoruko kaoruko より:

      シズカさん、コメントデビューね、おめでとう!
      皆さん、祝福を!
      読んで思えた事をコメントする、出来ない、って言っていた壁を、乗り越えたね。
      コメントを書けなかった感情、書かせた感情を、忘れないように。

      がんばったね。
      そして、シズカさんありがとう!

      父は厳しくもとてつもなく大きな愛を注げる人、ユーモアもたっぷりの人でした。o^^o)
      その父に42歳まで矢が刺さるように、叱られてましたw

      言葉は”魂”に滲みないから……

  5. eiko より:

    叱ると怒る、全然違うのに何かしちゃうとあっ怒られるっていう気持ちの方が先で、叱ってくれてるのに大事なことをスルーして大人になっちゃったんだと感じます。

    共に作った感情界。。
    お顔剃りが終わりタオルを洗濯し、物干しにタオルを干してる時に小さい頃よくお手伝いをしていた頃をふと思い出しました。
    何を話したとかではなかったですが、タオルを干しながらその頃に戻ったような感覚でした。

    大人になっても子供でも怒られるのは嫌だけど、怒られると、心に刺さる叱られるの違いははっきり違うと先生から教わりました。
    子供にも怒ってないか、叱るなのか、気をつけます。

    • kaoruko kaoruko より:

      eikoさん、整理ができてのコメントをありがとう。

      そうだね、こちら側の受け取り方も大切だね。

      ブログ一つで、過去に戻れるeikoさん、豊ね♡親に感謝☆
      子どもにも、あなたが戻れたような感情界を作って行かないと。

      さぁ、今日は叱れるのか、怒ってしまうか……。^ ^

  6. MIKA より:

    シズカさん、おめでとうございます!

    學びの場でご一緒出来ること、とても嬉しいです。
    よろしくお願いいたします。

  7. ゆか より:

    バタバタ、ぐちゃぐちゃな自分から、戻ってきました!

    ですが、先生とお父さんとの内容の箇所で、また涙涙でブログを読みました。

    私も祖母と42年間、愛のある時間を過ごしました。色々な経験と、心の隙間を埋めてくれました…。

    私は子供の頃、どちらかというと叱られないよう、親に迷惑かけないように生きてきました。
    叱られるようになったのは、社会人になってからだと思います…。

    私の少ない経験からですが…、怒られると後々何も残らず、叱られると、後々感謝に変わるな…と感じています。

    先日、子供に心配な気持ちから、最初は叱っていた筈が、途中から怒るに変わってしまっていました。
    冷静になってから、子供には謝りましたが…
    自分の行動は”叱る”なのか”怒る”ななのか、より一層気をつけます…。

    • kaoruko kaoruko より:

      「怒られると後々何も残らず、叱られると、後々感謝に変わるな…」、ゆかさん、いっぱい泣いて怒って悔しい思いしただけある!
      素晴らしい!