市民後見人講座第二回目は、高齢者についてのあれこれを學んだ。まずは高齢者を理解するために、高齢ドライバーについて、隣の73歳になる現役ケアマネジャーとワークをしました。
彼女は、毎日仕事で車の運転をしているので、判断能力の変化について聞いてみた。彼女は、若い頃と全く変わっていない、衰えていると感じた事がないと言い放った。びっくりした。73歳で自分の機能変化を感じていないなんて……なんと返したかと言うと、「そうなんですね、ご自分の機能変化を全く感じていないのですね。」、「そうなんですよ、毎日車を運転しているので大丈夫なんです!」、とまた言い放った。
彼女は私に同じ質問をして来た。「私は車を運転していて、あ〜前だったら、もっと早く判断出来たな、年取って来たな、変わってきたな、と感じる時があります。家族に私、大丈夫かな?と聴く事もあります。」、「あら、若いのに……」ってまたしても言い放った!そんなこんなをワークし、発表する時間に。
番号で一番前に座らされているので、容易く指される。どんな話がでましたか?「はい、高齢者になり判断能力の変化が見られ、家族や同乗者にそのような事を言われた時に、『そうかしら?』と受け取る高齢者と、『そうか。』、と自分の判断能力に向き合う姿勢のある高齢者がいると思います。高齢になると頑固さも一つの特徴ですが、高齢の自分とどう向き合うか、の姿勢が大切だと話しあいました。」
全然ちゃうじゃん。と思ったけれど、講師からは講義の後半の問題提議までして頂きありがとうございます、と。この隣のおばちゃんに自分と向き合わないとあかんよ、と伝えられるけれど、伝えたところで、73年かけて作りあげたこのおばちゃんの心の意識の方向転換はどのくらいの年月を要するのか……彼女の若い頃が安易に想像出来た。
私たちは若い頃から様々な事を経験しながら他者と比較し自分を知れる、他者との摩擦の中でまた自己を知れる “自己理解”がここでもまた出て来た。”自己理解” が進むと、他者理解が自然に促される。そうするとコミュニケーションが円滑になっていく。そこでまた自己をたくさん知れる機会にまた触れられる。
今出来ていないのに、高齢者になったらますます出来ない、”自己理解”。今の自分とどう向き合う?って、レメディ、カウンセリング、リラクセーション、Ravennaで行われる勉強会でもずっと言い続けてきてるよね、それはこの”自己理解”が、この場面では出来るけれど、この場面にこの人とは出来ない、って事があるから。毎日私たちは様々な人と人間関係を作ってしまうからね。難しいんだ自己理解はね。でもこの自己理解に向き合っていかないと、次の世でも追っかけられることになるのだ、必ずね、はい。
今年もマルハナバチがやってきた。
コメント
薫子さん こんばんわ。ブログ新しいものがアップされて嬉しいです。
まず自己理解ということがわかるまですごく時間がかかり、やっと自己理解が出来そうになると苦しい辛いと感じていたと思います。まだ出来ていない部分が多くても、今は、苦しいのあとに、だからこうだったのだとほっとできるような、そうだったのかとわかってくるのが見えてきた気がしています。
とはいえ個我の塊の40年強を過ごしてきた私が、素直にすぐに進むわけもなく。それでも學びたいと思うのは薫子さんが寄り添ってくださるから。みんなと學ぶ機会をつくってくださっているから。
過信する老人にはなりたくないと感じました。やはり最初から教えていただいている謙虚であることが、すべてだと感じます。自分を知れば知るほど謙虚になれるはずなのに、まだまだまだな私。本当に厄介な自分です。でも薫子さんとお逢いできたから、今がある。頑張れます。
謙虚であることも、自分を見ることが出来るからそうなれる。”謙虚さ”の向こうには限りない心の自由が待っていそうだね。
あっちゃんがこっちを向いている限り、寄り添えさせてね。
うう。泣きそうです。今耳鼻科に来ているのに。(昨日から鼻水が止まらない)こんなに寄り添ってもらえること本当に幸せです。
私は他者と関わることで、自己理解をするのでは無く、自分自身や相手を評価したり、良いか悪いかを考え、自分と向き合うということがわからないまま、単に答えや言葉だけを追い求めて来たことを改めて感じました。
Ravennaでの學びをいただき、自分自身の課題に気付けるよう、そしてどう乗り越えるか…今までの思考の癖に左右されながらも、「違う、違う…」と立て直し、探って行きます。
ちゃんと役割がわかっているマルハナバチさんを見習わなきゃ!です。
はじめに、限られた時間の中でブログをアップして下さいまして、ありがとうございます!
この73歳のケアマネさんの発言に「えっ!?」と何回もビックリしてしまいました。
ずっと上辺だけの関係で生きてきたのかな?、自己対峙してこなかったのかな?と推測…。そして先生との会話の差、真摯な姿勢の差に開いた口が塞がりませんでした。
同時に自分は大丈夫?と省みる時間になりました。
“自己理解”…私は親族間の摩擦の中で、自分の心の動き方、行動パターンなどと否応なしに向き合っている真っ最中です。
次の世に少しでも持ち越さないためにも、高齢になる前にも、今もがいて、考えて、”自己理解”と向き合っていきます!
マルハナバチ、モフモフでなんだか可愛いですね!
60歳半ばの私は、この頃いろんな場面で自分の自己中心の酷さを感じられ、悲しくなってきます。そして話したり考えたりした後、どこかぎこちないところがあり、しっくりこないなあと感じることがあります。
表現が下手で、わかりづらいと思います。すみません。
最後のところ、何と書いたらいいか分からなくなってきました。まだまだラヴェンナで學ばせてください。