〜神事任務完了!〜

愛媛県今治市大三島“日本総鎮守 大山祇神社”に始まり約六ヶ月をかけ、
・富士山五号目 小御嶽神社。
・八ケ岳 磐長姫命。

・石川県金沢市別所 瀬織津姫神社。
・三重県 伊雑宮神社。

・島根県 出雲大社、日御碕神社、佐太神社。
・石川県白山市 白山比咩神社、白山山頂に鎮座する白山比咩神社奥宮、
始まりの愛媛県今治市大三島 “日本総鎮守 大山祇神社” に再び参って大和国での神事は無事に終わった。

神事始まりの宮古島に入り、宮古島の神々に大和国での報告を御嶽にし、この大きな神事は終わりを告げた。
御嶽拝みは、宮古島のカンカカリャーしか許されない、拝みに必要な宮古線香は宮古島のカンカカリャーしか購入出来ない、それを許された尊さを表す言葉は見当たらない。

さらっと書いて来たが、驚き、驚愕、苦しみと奇跡が紡いだ時間の中を、啓と無心に歩いた。
拝む神社に神がいて迎えてくれて次に送り出してもらえた、だから前に進めた。
それを感じたことが次に足を向かせてくれた。

小さな頃から神と過ごしていた時の事を、思い出しながら感じながら歩けた、楽しかった。

ありとあらゆるところに神は奇跡を降らせてくれた、これが無かったら歩けなかった。
“奇跡”という人参をぶら下げてもらっているようだったが、神への信頼より体力的なところで折れそうになる事もしばしばあった私に、この人参はたいそう励みになった。
神は私のそんな所もお見通しだ。

ツル子師に言われていた事があった。
それは、「薫子さんの姿は上の神からは丸見えよ。神は嬉しくて嬉しくてお礼もわかるように伝えるよ。」
「神はいるよ、見ているよ。」と何度も伝えてくれて、この言葉も幾度も励ましになった。
奇跡もそうだけれど、驚きと驚愕も私たちの後押しに一役も二役も買ってくれた。
たくさん合った驚き、驚愕、苦しみと奇跡を、神の許しがあった出来事だけを伝えよう。

・富士山五号目のお御嶽神社に拝み、終わった報告をツル子師に伝えてところ、「2、3日後に五号目に鎮座する磐長姫が嬉しくてお礼として薫子さんにわかるように岩を落とす、と伝えてきているからね。」、と言われたが、石を落とす?人に当たったら大変、でもそれがお礼?、不安になった。
拝み後3日目あたりだっただろうか、たまたま目にしたYahooニュースに、“富士山五号目で落石、人災無し”、とあった。
読み終え、『どう致しまして、お役に立て嬉しゅうございます。わざわざお礼を頂き、ありがとうございました。』、と震えながら神棚前に正座し伝えた事は言うまでもない。

・石川県白山市に鎮座する白山奥宮に鎮座する、菊理姫に拝みの際、お膝元の町を通っていた時、見覚えのある苗字が目に入ってきた。
なんとそのお店の名前は、“小堀酒造”、住所は白山市鶴木だ。
私の父方御先祖は、”小堀商店”、お味噌や醤油作りをし、それを販売する商人だった。
・そしてさほど離れていない次に詣る神社は瀬織津姫神社。
その瀬織津姫神社の住所は、石川県金沢市別所、私の生まれた住所は、神奈川県横浜市鶴見区別所(現在は北寺尾)、高校で通っていた駅は、石川町。

色々な符合は何?と思ったが、これが事実なのだ、と目をクルクルさせ強く納得し自分を落ち着かせた。

・ツル子師から、手持ちに無い品を指定され、八ヶ岳の右から二番目も参って!、薫子さんを呼んでる!と富士山五号目の御御嶽神社拝み後に突然言われ、中央高速を飛ばした。
そろそろ目的地辺りに着くのに何も用意出来ずに焦り、山道に迷い、こんな所に家があるのかと言う家を見つけ、道を尋ねるために入ると、玄関先にツル子師に言われた品が並んでいる。

迷わず譲って欲しいと頭を下げると、「ああいいよ、持ってお行き。」、と躊躇せずに言ってくれる。
驚かないでどうする、これ。
二度とあの家には行けないと、啓と今も話す。
何故って、あるように思えないから。

・その帰り道、山道を走っていると、急に霧が掛かり車のスピードを落とす。

止まらないといけないように感じ、止まる。
霧が少し晴れた。
晴れた向こうにはツノが大層立派な牡鹿が道路の真ん中に立っている。
お互い凝視する。
自然と言葉が出た。
『どう致しまして。こちらこそ、お出まし頂きありがとうございます。』
そう伝えると、ゆっくりと彼は姿を消した。

・突然の八ヶ岳だったのでその晩の宿は取っていなく、拝みが終わった後にネットで検索、日が暮れる前に入れる諏訪湖湖畔のホテルが予約できた。
とにかく疲れていたので、寝れるだけで良いので何も期待はしていなかった。

夕食はホテルのレストラン。
案内された席は湖畔がよく見える席、その席からは賑やかな外の景色が見えた。

疲れたね〜、なんで今日はここにいるんだろうね?の会話をしたかどうかは忘れたけれど、席に着いた途端、ドドーント、大きな音がして諏訪湖湖畔に鮮やかに映る大きな大きな花火が上がった。
その日は、“諏訪湖祭湖上花火大会”、息を吐く暇もなく大輪の花火が鮮やかに空に美しく描かれた。
神からの「お疲れさん!ありがとう!まだまだ頼むね!」、労いと励ましの花火が空に湖面に広がった。
疲れ切っていた私と啓は、ポカンと口を開け眺め続けていたと思う。
綺麗だったな……。

・仙台から島根に向う時の事だ。
「先生、仙台駅から仙台空港まで送らせて下さい!」仙台在住のクライエントのエミちゃんからの申し出だった。
『ありがとう、エミちゃん。でも朝早いからタクシーで行くからいいよ。』

人様に頼るのが苦手な私、人様に送り迎えしてもらうなんて、と丁重に断った。
エミちゃんは自分の出来る事で神事に協力したいと言ってなかなか引かない。
彼女の思いも受け入れることも必要だと感じ、当日の早朝、仙台駅周辺で待ち合わせをした。

初めて仙台市内を車で走って気づいた、仙台駅周辺は車線数が多い、驚いた。

そして寝起きで見慣れない分厚いメガネを掛けたエミちゃんは、やたらとウィンカーを出し、あっ!間違えた、こっちだ!いやこっちか?、と車線変更を何度も繰り返し、時間通りに着くのか少々不安になり、『大丈夫?エミちゃん?』に、「はい、久しぶりの運転と仙台駅周辺初めて走るのだけれど、もう少ししたら慣れますから!」

『え〜〜〜っ!』
何とか無事に着き、
「帰りもお迎えに上がります!何時ですか?」
『大丈夫、帰りは遅くなるから電車で仙台駅まで行くからね』
「先生、そんなこと言わないでください!少しでもいいので協力させてください!お願いします!」
と言ってまた引かない。

エミちゃんの言葉を感謝し再び受け入れた。

無事島根県での神事が終わり、仙台空港に到着。
夜遅い時間なのに空港ロビーに人が溢れていた。
何事?柱の張り紙に人が集っていた。
タクシー乗り場に向かって、キャリーケースを持って走る人が見える。
その向こうから、
「先生ぇ~大変で~すぅ!私が迎えに来てよかったですぅ〜!電車にトラックが突っ込んで脱線して上下線とも止まっています!」
何となく誇らしげなエミちゃんが息を荒立てながら、笑顔で走って来て言った。

こういう事も神の手中なのか……と。

ここまでの道のりの全ての驚き、驚愕、苦しみと奇跡はご加護なのか、予定調和なのか……。
いづれにしても今ここに存在させてもらっている事を原点とすると、『神さま、ありがとうございます。』に辿り着く。

大和国での最後の神事は何と言っても、白山山頂に鎮座する白山比咩神社奥宮に参り。
登山もした事の無い私たち二人にツル子師はあっさりと、
「白山奥宮の菊理姫が薫子さんに参って欲しい、会いたいから来て欲しい、と言っているから行ってきて。」
『はい。』、と応えるしか選択肢は無いのでそう言ったが、白山?どこにあるのか?その山?……。

白山を調べた。

白山は日本三名山の一つ、他に富士山・立山。
白山は日本三霊山の一つ、他に富士山・立山。
この辺りで、この先を読むのが怖くなって来た。

日本三名山 霊峰白山は最高峰の御前峰は標高2,702m、夏季は高山植物が多く群生する。

高山植物の多くの名前に“ハクサン”、がついているのは、人間がこれらの花を見つけたのは白山がはじめてだったから、と言われている……、そうなんだ……標高は2,702m、富士山は3,776m。
日本一の富士山は小学校に通うのに毎日眺めていた美しく高い山、それに比べて白山は1,000m低い山なんだ、と……、だんだん事態が理解できた……こ、こ、この山に、この白山という山に登るのね、私たち!?

ツル子師に伝えれられたのは8月、9月の末には閉山する白山、バタバタと準備が始まった。
何を用意していいか分からず、先ず山用品のショップに二人で行き、
『始めて山に登ります、登る山は白山です。何から用意したらいいですか?教えてください。』

「初めて登る山が白山ですか?あの石川県の??白山ですか???」
店員さんはびっくりしながらも、先ずは下からですね、と言って、靴選びから始めてくれた。

二人分の山用品を一通り揃え、チケット、レンタカー予約、登山前後の宿、白山室堂予約など、すんなり全てが進んだ。

初めての登山で白山、ほんとに辛かった、無心に足を運んだ。
何か意味があるから白山に登っている、何かあるからだ、神事、神事……。
この時ばかりは、神様に選んでもらえたから白山登山なんだよ、がんばれがんばれ!、と自分に言い聞かせた。

覚えているのは、啓の右の踵と左の踵。
疲れたもうだめだ、と言って顔を上げたら、そこに湧き出る延命水があった事くらい。


白山延命水を酌んでくれた啓の優しい笑い顔はずっと忘れられないだろうな……。

白山延命水を頂き心も体も持ち直し、大幅な時間のロスも無く予定通り、今日の宿泊先の白山室堂に到着した。
奥宮はそこから300m登らなくてはならない、その日は一晩室堂に泊まり、翌朝6時に出発し奥宮を目指した。

誰もいない標高2,702mにある最高峰の御前峰前で奥宮で突っ伏し、菊理姫へこれまでの神事の報告をした。
白山頂上の神氣に包まれた。
終わった、と完全に感じた。

下山しツル子師に連絡、
「ご苦労さん!がんばったね、よくがんばってくれた、薫子さん!啓さん!本当にありがとう、神様方はみんなよろこんでいるよ。菊理姫はたいそうお慶びよ、労いを早々に薫子さんに示した、と言っているのだけどわかるか?」と。
全身の痛みやらダルさやらで、『何も判断できない、分からない』、と返事をしたと思う。

しづえさんにも連絡した。
彼女は「白山って低い山んだね。」、意識が一瞬飛んだ。

10年余り前の神事をこうして綴っていて思う。
見えない存在の意識の中で西日本を駆け回った半年間、何もかもぶん投げて行った感じはしていない。
ぶん投げる気持ちで向き合っても、すんなり駒がハマり整う事ばかりで、肩透かしの時が多かった。
例えば私の事で言えば、週一回の更生施設での就労支援の授業の日を神事で一度も休む事はなかった。
この神事の日程では休まないとならないな、って時も、「先生、大変申し訳なのですが、この日の授業はお休み頂けますか?」、と先方からの丁寧な申し出で、休みをお願いされる運びになる。
肉体を保つための現象界での仕事は、神も承知だ。

初めての宮古島カンカカリャー根間ツル子師を通しての“神からの頼まれ事”は、神事エスカレーターなるものがあって、そこに私と啓が乗り、両側にある物事に手を出しクリアして行き、トントンと進んでいった感じがする。
懐に関しても、どの辺りからか忘れたが、“全て委ねて”、と神からのメッセージが響きだし頷いた、頷けた。

一通り終わり盛岡に帰り、日常が始まってもふわふわして、地に足が付いている感じがしなかった。
しばらく神氣の中で呼吸をし心地よかった。

気持ちも落ち着き、全てが日常に入り込んだ頃、啓が写真の整理を始めた。
ツル子師からの要望もあり、啓の裁量に任せ写真を撮っていた。

神は “印” を多くの写真に残してくれていた。
“ご苦労さん、伝わっているよ、神事を担ってくれてありがとう!”って、それがメッセージのようにそこに必ずあった。

啓と二人で、あの時の私たちはいったなんだったんだ?と、今も話す、どれだけでも話せる。
人参をぶらせげてもらわないと、神事が進められない自分の神に対しての不信心さに触れた時間でもあった。
まるで幻の中を歩いたような2014年の初夏から初秋だった。

まるで幻の中を歩いたような2014年の初夏から初秋だった。


人生を照らした神々と根間ツル子師と。